成功者Kをひとことでいうと「男性版シンデレラストーリー」
表紙に羽田先生の写真が使われていることから、羽田先生本人の実体験を描いたノンフィクション作品なのか、はたまたフィクションなのか、読者を迷わせるところがミソ。
ただ、そういう前提を抜きにしても非常に読み応えのある作品でした。
平凡な生活をしていた小説家が多額の収入を手にし、女性にモテるようになるという、男性の夢を実現化したかのようなお話しです。
こういった作品は他にもありそうですが、現代日本での成功者の生き様をここまで詳細に描いた作品は初めてでしょう。
男性はハマること間違いなし、女性はちょっと引きそうな作品「成功者K」を振り返ります。
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成功者K あらすじ
芥川賞受賞後、TV出演190本。
すべてはこの作品のためだった。───羽田圭介
これは実話かフィクションか!?
芥川賞を受賞したKは、いきなりTVに出まくり寄ってくるファンや友人女性と次々性交する。
突如人生が変わってしまったKの運命は?
「胸糞面白い! 」「圧倒的怪作」「炎上必至。」など
全国書店員から興奮の声続々!
又吉直樹氏推薦!
成功者K 感想・ネタバレ
成功者Kではテレビに出演した人しか感じることができない表現が目立ちますが、1番印象に残ったのは多数の女性と性交するモテっぷりです。
下品な話ですが「成功者の性交物語」といっても差し支えはないでしょう。
それも羽田先生が性交シーンをとにかく繊細に描くものだからたまりません。
正直なところ、羽田先生がこんなにもたくさんの女性と性交するのは信じられませんが、実際に体験したかのようなリアリティある表現の連続に驚かされます。
Kはここ数ヶ月間で、皆から人気があると思われている人、お墨つきの人のことを女性たちの多くは好きなのだと知った。
芥川賞を受賞して以降、発言内容が自信家になることはあったが、口調が自信家になることはほとんどなかった。密室の中で、女性の前だから、なのだろうか。
現実でもありえそうな表現を次々と差し込んでくるため、現実の話なのか戸惑います。
特に秀逸だと感じたのは、初めて紗友子と成功したときのこの表現。
互いに、テレビを見るような軽い感じで、消費しあったのだ。
突然モテ始めた成功者と、流行りの男に飛びついた女性の関係を端的に表現しています。そこに愛情は介在しません。
短期間で暴利をむさぼるその手腕は、まさに〝東証の狼〟
日銀の政策とそれに付随する為替相場についての記事なんかを読んでいると、ヤングエグゼクティブ感に拍車がかかった気がする。
一方で、株とか銀行でのシーンはやや稚拙でリアリティに欠ける印象。成功者がやりそうな行動を想像で描いたように思われます。
結局のところ「フィクション」「ノンフィクション」の単純な2択で「成功者K」を表現することはできません。
どこまでが本当なのか探りながら読み進めると面白いですよね。
成功者Kの考え方
性交シーンと同じくらい印象に残ったのは「成功者Kの傲慢だが的を得ている心理描写」
リアルの世界で実際に口に出されると間違いなく成功者Kを嫌いになる自信はあるものの、ここまでストレートに表現してくれると清々しく感じてきます。
成功者Kの心理は、根拠のない自信ではなく、体験に基づく自然な感情です。
また、もし自分がとてつもなく成功して同じような体験をした場合、同じように考えてしまうのではないかとの恐怖感さえ感じました。
男は女の精神性とは関係なしに相手の身体だけを貪ることができるが、女のほうもまた、男の精神性とは関係なしに、一方的な会話で相手を人形のように扱いヤり捨てられる動物だとKは思うようになった。
笑顔は、不特定多数に警戒心をもたれず好いてもらうためのツールだ。だからなんの能力や魅力もない人間ほど、笑う必然性がない場面でやたらと笑顔をふりまくのだとKは考えている。
芥川賞受賞以降のここ数ヶ月間で、人が生意気になるプロセスを知った。自分でぜんぶ判断してゆく限り、態度を大きくし優先順位を明確にさせていかないと、すべてをさばけないのだ。
世の中には、誰かにお金を払いたがっている人や組織が一定数存在して、その矛先が今は自分に集中しているようにしかKには思えなかった。
成功者Kの結末
終盤では「成功者K」が自分の生き様に疑問を持ち始めます。
想定通りの結末というのはちょっと残念ですね。それでも成功者Kが秀逸なのは、失望するまでの流れが非常にリアルであること。
それが幸せではないと薄々と感じながらも「テレビに出たい」「大金を手にしたい」という人はたくさんいますよね。
そんな人に「確かにそれだけでは幸せになれないよね」と説得力たっぷりのラストです。
各局へ頻繁に出入りするようになったここ数ヶ月間で、Kはどのテレビ局の建物内でも成功者の姿を見かけなくなった。
ずっと成功をおさめ続けている人には、成功者感はたちあがってない。つまり成功者とは、成金だったり、急に世間からモテだしたぽっと出の奴なのだろうか。
ここには一般人がいないから、相対化されない。成功者限定の集まりだから、単なる世間になってしまっているのだ。ここに来て自分から成功者感が剝奪された理由がKにもようやくわかった。成功者でいるためには、素人たちがいる現実世界に出なくてはならない。
自分をとびっきりの成功者だと自覚していながらも、成功者Kは自分の成功が条件付きであることを感じていきます。
迷い始めた成功者Kに突き刺さったのは芸人のひとこと。
「そんな気持ちでやってんなら、おまえ、素人がテレビ出んなよっ」
いつか言われるだろうと、予期してはいた。しかしいざ言われると、予期していたのにもかかわらず、大きなショックだった。
そうだ、表舞台に出る仕事では、自分は富美那や男性芸人と違い、外見が良いわけでもなくおもしろいことも言えない、専門性のない素人にすぎない。パセリのように各番組の端に添えられる、いくらでも代替可能な文化人枠の消耗品だ。
芥川賞を受賞したKの成功が努力に裏付けされたものであることは間違いありません。ただし、それは小説家の世界での話。
他人に持ち上げられた世界では、幸せは感じられないことが表現されています。
その後の成功者Kの失望はさらにリアルで残酷です。
いってみれば、お金ではなく、お金にこめられていた可能性を消費してしまったのかもしれない。金さえあればいくらでもどうにかなるだろうという可能性が、実際に金を得て使ってみることで、完全に失われてしまった。
芥川賞を目指していたわけではないと自負してきたが、芥川賞を受賞し、そこから付随する色々な経験をしてしまうと、一年前まではあった、漠然とした幻想や期待感は消えてしまった。
あとに残っているのは、個別で具体的な楽しみでしかない。美食や、旅行や、セックス。それとも結婚し子供をつくり家庭の幸せとやらで、この先数十年生きていけるのだろうか。曖昧な期待は、曖昧なままにしておかなければならなかったのだとKは最近知った。美食してリスクをおかし性交し続けなければならない人生など、地獄だ。
幸せってなんでしょうか?
- 大金を手にすることではありません。
- 美人な女性と性交することではありません。
- テレビに出演することではありません。
幸せの定義は人それぞれだと思いますが、それを自分で定義づけしない限り、いつまでたっても満たされない。
満たされたとしても一時的なものだということがわかります。
羽田先生本人の実体験を描いたノンフィクション作品なのか、はたまたフィクションなのか。考えながら読むのが成功者Kの面白さだと思います。
ただ、羽田先生がこのお話で1番伝えたいのは、「世間一般でもてはやされる”成功者”になるだけでは成功とはいえない」ということではないでしょうか。
▼芥川賞を受賞したこちらの作品も必読です!